こんにちは。なんちゃです。
皆さんは、推しが何人いますか?
1人に決まってるじゃない!というかたもいれば
複数いるかたもいますよね。
人それぞれに応援の仕方は千差万別。
自分の応援を押し付けることなく、自分のペースで応援できることがベストかもしれませんが、そうでない事も多々あると思います。
この記事は、ひょんなご縁で出会いましたKさんに捧ぐ記事です。
30年以上観劇していると、それはそれは長い年月の中で推しとの(勝手な)出逢いと別れ遍歴を繰り返していました記録雑記でございます。
前編は宝塚ファン時代の話です。(過去形だ)
出逢いがあれば別れがあり、別れがあれば新たな出逢いも生まれ、そんな数々の推し活の
愛雑記が(ガチ恋ではございません)そんな事もあるよね、と笑っていただければ幸いです。
今は【推し】という表現ではありますが、私が学生の頃は【ご贔屓(ひいき)】さんと言っていましたが、時代は【推し】なんですね。
ちょっと思い描いている言葉とは違いますが、あえて【推し】と言わせていただき、決して実ることのないときめきの推しへの愛、求めることのない永遠の無償愛!
推しは推せる時に推せ
推しは推せる時に推さないとその時は二度と戻らない
人の心は移り気です。
ガチ恋とは違うこの想いってなんなんでしょうね。
一体この記事は何時間かかることやら…💦(心のつぶやき)
前編では、3つのカテゴリーにして実践していた推し活パターンを紹介いたします。
・・・後編作る気満々かい・・・(答え5時間かかった・・)
推し活 パターン1 学生時代の推し活の節約術
最初にときめいたご贔屓さんは、
まだ私が高校1年生の時でした。
ヅカオタになってその当時は4組(花・月・雪・星)の中で、観劇最後に見た組の
トップスターさんのS様でした。
その当時は、宝塚が好きというと
え?女が好きなの?
という推し活に全く理解のないアホな輩はそういうモノの見方でしか話ができないのを相手にしてはいけないのに、正直傷つきました。
隠れキリシタンならぬ、隠れヅカオタとして生息しなければ推し活はできないのか?
私の趣味は他から見ると同性愛なのか??って。
年齢を重ねている今なら遠慮なく問いたいです。
じゃ、聞きますけど
高校野球を好きだっていうと、少年好きになるんですか?
相撲が好きだって言うと、デブ専なんですか?
違うだろって。
自分にない世界を見せてくれる夢を心無い輩のたった一言で
自分が傷つく必要なんて全く無いんです。
あなたも正しい、私も正しい、ただそれが一致するとは限らない
という事です。(byアドラー)
ただまだおぼこい(死語)JKだった自分は隠れキリシタンヅカオタとして
学生生活を送ることになったのでした。
1.チケット代を稼ぐため、部活動は放課後にないのを選ぶ
2.チケット代を稼ぐためのバイト先は学校と自宅の間
(交通費稼ぎもプラスにして)
3.バイト先は、いつでも休めるところ
4.親から貰っていたお昼代500円のうち100円の【黒糖ロシア】という黒パン1個で済ます→残りの400円は貯金
5.早退はいつも腹痛→保健室→劇場(コラ)
6.夜の部公演の帰りは「バイトが遅くなった」と言い訳
(隠れキリシタンヅカオタは家庭内でも同様に)
7.チケットは全てファンクラブで申し込み
こんな学生生活でした。
青春してましたねぇ。
そうして貯めたお金は全て推しの為に使いました。
・チケット代
・グッズ代
チケットもその当時は、旧東京宝塚劇場では、1100円が3階席で、1000円が立ち見だったような・・・(うろ覚え)(ちなみに新人公演は3階席は800円だったような…)
学生ながらに本場の宝塚大劇場も行きたくて、泊りがダメなら日帰りで行ったこともありました。
柱の真後ろの片目で舞台を見るような席に当たったとしても、
それでも舞台が見られるだけで幸せでした。
あぁ、このために貯金したんだもの。
ただし・・・ここで壁が現れたのです。
自業自得ですが、ひょんなことから自分が100円の黒パンしか食べていないことが母親にバレてしまったのです。
・・・っなっさけない・・・・(情けない)
と涙流された日にゃ、自覚は全くないし、なんで情けないって言われなきゃいけなかったのか、バレた翌日からお弁当に変わったのでした。
・・・・雉も泣かずば撃たれまい・・・(古)
3日黒パンで我慢すれば1枚立ち見で見られたのに、ホントにあの時は反省しました。
余計な事を言うまいと(そっち?)反省ゼロ。
そんな楽しい高校生活を過ごし、推し活がこのまま永遠に続くものと夢見ていたJKなんちゃは、親の経済の都合で、就職するしかなかったのでした。
でも、その時に思ったのは挫折よりも学生時代よりも稼げるじゃん!と意気揚々。
ところが・・・・
宝塚ファンなら誰もが通る道の「退団」というゴール
それは突然やってきました。
サヨナラ公演にはもちろん大劇場も行き、
東京公演では、前楽はファンクラブで見ることができましたが、
千秋楽は見ることができませんでした。
それでも退団のパレードは見たくて、帝国ホテルに宿泊し(食事はファストフード💦)、朝一で並んだ抽選券もあえなく惨敗。
そこから路上で8時間?位だったか、パレードの姿をみたくて座って待機していたらその周りにいた方々と同志になり、お手洗いや飲み物の買い出しなどを共同で行い、
無事、ご贔屓さんの最後の袴姿を見送ることが出来ました。
その翌日は、新聞を片っ端から買って記事を切り取り、新聞社に電話し、記事の写真を譲っていただけないかの交渉をして、白黒写真を無事手に入れました。
(※今はそういうことは出来ないと思います)
これがこの方への最後に行った推し活だったと思います。
宝塚グッズの写真集(当時はフォーサムという大型誌)にも最後のパレードの瞬間の写真は、自分しかわからない所に実は映ってます。
ご贔屓さんが退団して、ポッカリ気持ちに穴が空いてしまいました。
そのご贔屓さんは、芸能活動に進まれたので、その後も舞台を観には行きましたが、
宝塚だけの世界はもう見ることは無いんだなという気持ち。
徐々に熱が覚める状態が自覚するようになりました。
あれ?なんだか違うかも・・・
私が好きなのは、宝塚の世界なのかも・・・と
気が付いたのは、
そう!別の組を見た時に、それは突然その穴を埋めてくれる次の人が見つかってしまったのでした。
そして最初の推し様とは、お別れいたしました。
今まで楽しかった時間をありがとうございました。
その期間は、3年ちょっとでした。
推し活 パターン2 広く浅く手広くと
パターン1は、一人の推し様を追いかけるパターンでした。
パターン2になったのは、
各組に良い人を見つけてしまった複数推し活でした。
これはですね、今の時代だと
浮気モノー!!!とか
ファンクラブは一つでしょ。等のルールがあるかもしれませんが、(今は知らない)
複数推し活は
何が大変って
両立が大変なんです。
あっちもそっちもこっちもどっちも
みーんな良い!!!(↑組カラー気が付きました?)
この時代はですね、
正直 両立は出来ない 苦労です。
なんですけど、
それでも東京公演の新人公演は必ず見ていたと思います。
そうなると最初の時の隠れヲタから脱出で、オープンtheドア!
もう心のままに毎月毎月見まくりました。
1.チケットは自力戦になったため、ありとあらゆるカードの申し込み
(たぶん10枚以上は持っていた)
2.知り合いが増え始め、そのツテでお茶会も各組参加
3.徹夜並びはしなくなり、頭脳線(常にパソコンの前に)
4.欲しいと思ったチケットは必ず手に入れるという謎の自己催眠
(ほぼほぼ入手してました。気合と努力)
5.ほぼ毎日睡眠不足
6.その頃から観劇日記を記録するようになり、観劇したらその日のうちに記録を残す。←これは誰にも見せてない自分用の記録
(何が大変ってこの記録をつけるから時間がかかる。)
これは、未だに変わることのない癖でずーっと続いています。
ある時、気が付きました。
・・・・・疲れた・・・・・
もうちょっとフラットなファンでいたい・・・と
今だから思うんです。
沼が浅くなることは無いことを
(ホラーのようなホントの話)
浅い沼は沼ではない(なんだこの意味不明な論じ方)
別れというのかどうかがわかりませんが、
それはある時突然やってきます。
凄い凄い
凄いラスボス的存在の推しに出逢ってしまった
別れではないのですが、
ラスボス推しは、両立しなくて良いほどに
全てを上書きされてしまった。
冒頭の説明の通り、
人の心は移ろいやすいのです。
そこからのラスボス推し活が始まるのでした。
さようなら・・・数々の複数推しだった(過去形)皆さん。
ハシゴしていた観劇もこれでおしまい。
決して嫌いになった訳ではないんです。
全てはラスボスがいけないんです。
推し活 パターン3 泥沼ピーク底なしの深さの執着
益々、推し活の沼度が深くなる最強の時代を迎えます。
たぶん私の宝塚ファン人生の中での最強時代でした。(過去形)
この生活は8年続きました。
1.カード管理は20枚を超える(今じゃ考えられない)
2.初日・お茶会・千秋楽遠征は必ず大劇場公演も見る
3.東京公演は週3~4回
4.東京⇔大阪間のマイルを貯めて全国ツアーで広島に行った時はタダ
(ここツッコミなんですけど、東京大阪間のマイルで行けるってどれだけ行ってるのかって話です)
5.株主優待券を当時の流行りのヤフオク等で購入して宿泊代を節約
6.観劇チケット以外のお得情報へのアンテナは常に張り巡らす
7.貸切公演情報はマニアックなものでも、ほとんど知っている
(なんとかツテを探しまくる)
8.その当時の横のつながりは、50人以上
(今も繋がっている方は3人のかた←永遠の財産)
9.裏情報も耳に入るようになる
(あまり聞きたくない話が多め←これ推し活じゃないな)
10.とある貸切公演で50枚以上を捌いた事も有り
(一人では仕切りきれなかったけれど、周りの手助けもあり)
11.夢の1列ドセン観劇経験有り
(徹夜で一睡もせずに友人と盛り上がってしまい、当日は意識朦朧としたウトウト←バカ者)
12.サヨナラショーで投げた花を受け取った奇跡
(今も記念にブリザードフラワーにして飾る事10ウン年。花は枯れていません)
今は何もできません。
客観視して、よくもまぁこんなことしていたなぁと、今は昔です。
この時からある言葉を肝に銘ずるようになりました。
それは
歓楽哀情(かんらくあいじょう)
これは今でも思う事です。
意味は、
楽しい事もやりすぎると返って哀しい感情が生まれる
です。
沁みる方がいましたら、結構な泥沼さんですね。
(同志よ👍)
正直、追っかけしていた3年間が何をしていても一番楽しいピークでした。
そのうち、あれ?私ファンだったけ??
でもこんなに見ているなら、他の人の目からしたらファンに見えるよね。
と、謎な客観思考が脳内に生まれました。
沼度が酷くなったとある全国ツアーでの些細なことなのにトラウマとなった出来事がありました。これは、なかなか消すことのできない自分の中のショックな出来事でした。
それ以来、タイトルにある「距離感」というものを凄く考えるようになりました。
推しとファンとの距離ってなんなんでしょうね。
自分一人が客席から消えたとしても全く影響はないし、むしろ同担拒否のファンからすればディープなファンは目障りだと思います。
自分が一番でいたい欲望は、自分よりも目立つような人は嫌な存在でしか映らないというか。
だとしても、ファンの人数が減ってしまうのは困る。
じゃあ、その人にとっての理想のファン層ってなんなんでしょうか?と。
これは今も推し活をすると常に頭に残る事ではあります。
皆仲良くしようよ。とは ならない世界の一面を知ってしまうのが、
沼度の深さなのではないでしょうか?
知らないが一番。
楽しい事だけを見ていたい。
それが推し活!
と思えるのが理想です。
隣の芝は青く見えますが、実はそうでもなかったりもします。
でも、自分よりも財力がある、自分よりも綺麗でスタイルが良い、自分よりも行動力がある、自分よりも・・・と人と比べていると、どんどん不幸になるような気がします。
人は人、自分は自分。
これを強く思っていないと推し活って難しいなと思います。
人に傷つき、人に救われることもあります。
横のつながり無くして、チャンスや恵まれることもありません。
因果応報ではありませんが、
巡り巡って良い事も悪い事も自分に返ってくることを身に沁みます。
幸いにして、チケットに関して私は巡り巡って
最後は自分の努力も少しはありますが、いろいろな方の力によってその推しさんの
大劇も東京も前楽・千秋楽を見ることができました。後にも先にもこれが最後の出来事です。しかもその推しさんの投げた花をキャッチしてしまった時、
8年前に描いていた夢で
とあるトップさんがサヨナラショーで投げている花を見た時に
漠然と
いつか自分の好きな推しさんがトップになれたら、あぁいう風にして
投げた時に、自分が受け取れたら良いなー、と予言というか、言葉にして言っていたんです。
その夢がかなった時、
あの時思い描いていた夢が本当に叶うことがあったんだ・・・と、
それはそれは腰が抜けるほどに嗚咽どころの騒ぎじゃない位の大泣きでした。
大人になって感情があんなにも大揺れしたことは無いくらいにです。
(思い出すだけで泣けそうだ・・)
言霊
って本当にあると思います。実現しましたからね。
初めてお披露目します。パンドラの箱のような存在の
推し活の記念品です。今も思い出は生きている象徴です。
赤いバラだけにすれば良かったなとは思いますが、アレンジで
他のお花も入れてしまいました。
プレートはその日とその推しさんのお名前も入れました。
これが最初で最後の狂いまくり推しまくった最後の思い出です。
あれから10年以上経ちましたが、
ラスボスさんの退団後の1作は観ましたが、
かなりの燃え尽き症候群に襲われまして💦
千秋楽翌日に(帰ってられなくて3日間宿泊後)キャトルレーヴの店内で
大量の鼻血を出しまして💦寝ていない、興奮と緊張感が続いていた、疲れ果てていたのが
鼻の穴全集中!毛細血管を破り、血だらけになった今となっては良い思い出です。
ボックスティッシュで用意してくださったキャトルのお姉さんありがとう♡半分は使ってしまったこと、ごめんなさいです。
その後、あんなに鼻から大量出血したのは、向こう10ウン年起きてはいません。
燃え尽き症候群のその後は、
パターン2で想い描いていた理想のフラットなファンになりました。
言霊や思っていたことは現実となりました。
これで私の沼生活は終わったと、
その時は思っていたんです。
が。
後編に続く←まだ続くんかいっ